SR鳩ヶ谷駅周辺


 鳩ヶ谷市民なら誰もが知っているミニコミ紙がある。「おしゃべりじゃ〜なる」タブロイド判4ページで発行部数2万部。隔月に読売、朝日、毎日の各新聞に折り込まれて無料配布される。二人の主婦が取材、編集、発行…すべてを行っている。冨田栄子さんと上田眞由美さん。創刊以来17年のコンビになる。
 歳は冨田さんの方が五つ上だけど、子どもが同年代でPTA仲間として知り合った。近所づきあいを続けながら子どもが高校生になった頃ミニコミ紙の発行を思い立った。「本当に主婦が知りたい鳩ヶ谷情報って流れて来ないよね」「だったらそういう新聞、私たちで作っちゃおうか」上田さんは学生時代から新聞部でニュース記事の文章作法には慣れていた。冨田さんは真面目な文学好きで記事的な文章は苦手だったけど、イラストという特技があった。コンビが補い合って回り始めた。
 最近、鳩ヶ谷自慢が次々と姿を消している。昨年は江戸時代から続いていた大坂屋旅館が取り壊され、今年になって川口煙草専売所だった洋館も更地になった。そしてマンションの建設ラッシュ。地下鉄開通がもたらした大津波が鳩ヶ谷を襲っている。特に鳩ヶ谷駅周辺は激しい。巨大なパチンコ専門ビルまで出現した。
 国道122号線が高台に登り切った歩道橋の上で二人はため息をついた。これでいいのか!と思うけど、鳩ヶ谷の人たちは腹を立てない。粛々と受け入れてしまう。川口記者クラブの四人の記者さんに覆面座談会を開いてもらったのは6年前。あの時も消極的な鳩ヶ谷の性格をムチャクチャにこき下ろされた。
 昨年、鳩ヶ谷市ホームページのリニューアルが企画され、市民と行政が共働で地域ガイドページを作ることになった。冨田さんと上田さんもメンバーに加わった。だが市民ボランティアが望む地域情報は公営のサイトには馴染まず、掲載が見送られた。それではということで、プロジェクトに参加したメンバーが独自の地域ポータルサイトを立ち上げようと現在準備が進んでいる。「そうね。インターネットの時代よね」冨田さんと上田さんもうっすらそう思っている。
 始めた頃は「四十代の主婦」だった。いろいろなことがあった。ほぼ同時期に夫の転勤もあった。二人とも単身赴任で我慢してもらった。子どもの独立、孫の誕生、そして二人目。申し合わせたように冨田さんと上田さんの人生の歩調は一致している。現在夫は定年退職し自宅に居る。二人はそんな暮らしになった。
 打ち合わせはファミレスですることが多い。あれこれメモや資料を広げるのでテーブルの大きい店が良い。コーヒーのお代わりが効くとなお良い。今日も3時間話し合った。なんとか方向がまとまった。「やれやれ」の空気が流れる。「いつまで続けられるかな?」言葉には出さないけど、最近二人が思っていること。冨田さんが言った。「ビミョーな年齢になっちゃったね」「ビミョーも長く続くかも」上田さんが笑って返した。
 二人のおしゃべりはまだしばらくゾッコー予定。三ツ和公園が桜で華やぐ頃、次号の「おしゃべりじゃ〜なる」が刷り上がる。

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