『マンガ作品とミュージアムでの展示のあり方』

田代しんたろう

  このような壇上で講演させていただくこととなり、身に余る(余りすぎる)大役と自覚しながらも、一マンガ製作者の立場から、《マンガ作品とミュージアムでの展示》についてお話したいと思います。

  昨年から今年にかけて、日本で、マンガの展示としては画期的な展覧会が開かれました。「井上雄彦 最後のマンガ展」がそれです。まず、2008年5月24日(土)〜7月6日(日)の期間、上野の森美術館で開催され、続いて今年4月11日(土)〜6月14日(日)の間「井上雄彦 最後のマンガ展 重版[熊本版]」ということで2回目の展覧会が開催されました。宮本武蔵を描いたマンガ『バガボンド』を総括するマンガ展でした。
  井上雄彦さんは2004年に、代表作『スラムダンク』の1億冊記念イベントを神奈川県三浦市の廃校で行った際、スラムダンクの連載終了後のエピソードを、黒板にチョークで直筆描きしたり、また、2007年には紀伊国屋ニューヨーク店のリニューアルオープンのイベントとして、『バガボンド』のキャラクターを直接壁面に描くパフォーマンスを披露したりと、小さな紙の原稿用紙の枠を超えたマンガ発表を敢行してきましたが、今回も期待に違わず、素晴らしい展示が展開されました。
  特に熊本での展示会についてご報告いたしますと……
 熊本市現代美術館での開催については、熊本が宮本武蔵終焉の地で霊厳洞や武蔵縁(ゆかり)の地も多いこと、また井上雄彦さんが漫画家デビュー前に熊本大学に在学していたことなどのご縁から実現したものです。
  『バガボンド』の主人公「武蔵」が死を前に、霊厳洞でこれまでの生涯と出会った人々を振り返る、という雑誌連載には無い構成で展示が展開されます。描き下ろしのマンガの生原稿が展示の中心になるのですが、ポイントごとに2メートルを超える壁画や、和紙に描かれた水墨画、実際にささってる棘、床に落ちてる実物の木刀、そして最後は実際の砂が敷かれた広い浜辺と水平線……様々な工夫が凝らされた展示空間が続きます。マンガの展示というより、現代アートの「インスタレーション作品」と言えるものでした。
  従来のマンガ展と言いますと、原画展示とせいぜいキャラクターを拡大したり、画像処理した展示物が並ぶ程度で、作家はマンガ原稿の素材を提供するだけで、後は展示担当学芸員と装飾業者に任せられるというのが一般的でした。しかし、井上氏の場合は、作家が展示プランに主体的に関わり、展覧会場を一つの作品空間として創造するという、新しい試みがなされました。私は、ピカソの「ゲルニカ」やブラジルのシケイロスの壁画作品を思い起こしましたが、井上氏の今回の展示はストーリーマンガならではの《時間軸》をも展示空間の中に取り込むという意味で画期的であったと言えます。
  また、この展示企画が、いわゆるマンガ・ミュージアムではなく、日頃アート作品を展示する美術館で開かれたというのも注目すべき点です。井上氏の発想と学芸員の方の空間構成のノーハウが上手くコラボレートされて、革新的な展覧会に結実したものと考えられます。
  2ヵ月間での入場者数は78000人を超えたそうです。地方都市での展覧会としては驚異的な数字です。マンガの展覧会というものに対して、大きな示唆を与えた、良き手本となる例でしょう。
  この展示は、来年1月から3月にかけて大阪で、5月から6月にかけて仙台での開催が予定されています。各地でまた新たな試みが加えられるものと期待されます。
  是非、韓国にも招致されてはいかがでしょうか。

  この熊本での「井上雄彦 最後のマンガ展 重版」と同時期に、江戸東京博物館では「手塚治虫展」が開かれていました。これも、駆け足で実際に観覧しましたが、こちらはいわば《従来型》の全作品網羅式展示でした。手塚先生の展覧会としては、1990年に東京国立近代美術館で開かれた「手塚治虫回顧展」が思い起こされます。その時は手塚先生の数々の原画が見られること自体が衝撃でしたが、今回の展覧会は手塚先生の作家活動の推移が丁寧に解説されており、手塚先生がなんと多くの作品を世に送り出してきたか……それが昭和という時代の流れに照らし合わせてよく把握される構成になっていました。小学生時代の初めてのマンガ作品から、遺稿となったラフスケッチまで貴重な《歴史資料》が目の当たりにできたことも画期的でした。

 さて、最近の日本の展覧会例を二つご紹介しましたが、次に私が12年間に渡って日本側世話人を務めてまいりました「日韓ユーモア漫画家年賀状展」を運営する中で得た、わずかな教訓をお話したいと思います。
  「日韓ユーモア漫画家年賀状展」は韓国漫画家協会様とプチョン漫画情報センター様のご協力をいただき、1998年から開催させていただきました。最初の会場はソウルの日本文化院、当時はまだ日本の文化開放が成されていない時期で、珍しさも手伝い多くのソウル市民のご来場をいただきました。ただ、日本での展示は……東京麻布の韓国文化院で行いましたが……正直なところ、話題的にも集客的にも盛り上がりはイマイチでした。その状況をなんとかせねばと、私は無い知恵を絞りました。そして考えたのが《関係者を増やす》という手段でした。2002年のサッカー・ワールドカップ以降「日韓ユーモア漫画家年賀状展」は埼玉県の川口市で開かれるようになっており、そこで関係者を増やそうと考えました。とは言え、漫画家仲間が急に増やせるものではありません。 そこで「コリアン・ウィーク」という新しいイベントを立ち上げ、その中心事業として「日韓漫画家年賀状展」を位置づけようと考えたのです。そして、埼玉県の民団、総聯、両組織に協力をお願いし、両組織が手をつないでの画期的なイベントが成立することになります。このことで、在日韓国人、在日朝鮮人の皆さんが年賀状展の《関係者》となり、話題性もグッと上がりました。
  また、昨年からは川口市アートギャラリー「アトリア」での開催になりましたので、今度は「市民のアートな年賀状展」と同時開催とし、一般市民を《関係者》に巻き込んで、多くの集客を得るよう努力いたしております。

  この《関係者を増やす》という手だては、日本全国のマンガ・ミュージアムでも工夫がされています。ミュージアムごとに募集を行う「○○マンガ賞」というのもその一つの手段ですし、観覧者参加型のワークショップ・イベントの開催もその手だてと言えます。
  特に例を挙げますと、「横山隆一記念まんが館」を中心にした高知市の取り組みが良いお手本と言えるでしょう。企画展の他に、「4コマまんが大賞」の募集、多数の市民が協力・参加して11月の二日間行われる「−こうちまんがフェスティバル−まんさい」など、企画が盛りだくさんです。高知県その他が主催する「全国高等学校漫画選手権大会『まんが甲子園』」も今年で第18回を迎え、《マンガの高知》を全国にアピールしています。
  熊本での「井上雄彦 最後のマンガ展」に於いても、観覧者のメッセージ書き込み壁面(大きな部屋なのですが)が用意され、また武蔵の絵の前での記念写真が携帯に転送されるという、観客の参加意識を高める仕掛けがありました。加えて、それらの画像が井上氏のWEBサイトで公開され、それ自体が、一つの記録作品となっていくという仕組みです。

  さて、最後に……私は昨年から九州大分県の別府大学でマンガ担当教授として教鞭を執ることになったわけですが、その中で感じましたことを少し……
  担当講義の中に「マンガ概論」があります。私自身はあまり他人のマンガを読まないできた人間ですので、概論の担当はとても困惑しました。しかし、また無い知恵を絞りまして……「日本人の絵の特性」「単純な線画で気楽に絵を描く日本人」ということに着目しました。日本の線画の文化の流れの中でマンガを理解するという視点ですね。その流れで考えると、どうして日本にマンガ文化が花開いたかが見えてきます。アニメーションの制作がいかにスムースに進めることができたか、が見えてくるんですね。古くは法隆寺金堂の天井裏のちょっとエッチな悪戯描きから始まって、鳥獣人物戯画、信貴山縁起絵巻といった絵巻物、また江戸時代に入っての草双紙や錦絵といった浮世絵……こうしたヴィジュアル文化の土壌の上に、明治以降のポンチ絵や風刺漫画、そして戦後のストーリーマンガ、劇画、アニメーションが生まれてくるわけですね。
  マンガ学芸員の方たちはそういう広い視野を持った上で、現代のマンガの有り様を研究されるべきかと思います。これまではそういう研究は美術史研究者が行ってきました。絵画としての絵巻物は美術史研究者が語れるかもしれませんが、《絵で何を伝えようとしてきたか》という部分は、マンガ学芸員が担うべきかと思われます。浮世絵になって複製大量出版のヴィジュアル作品になると、今度はメディア論的視点も必要になります。マンガ学芸員はメディア研究も怠ってはならなくなりますね。
  今日にあっては、日々溢れるほどのマンガ、アニメ、ゲームといったヴィジュアル作品が世に送り出されます。それらに一定の評価を与え、方向性を把握し、アーカイブすべき作品を峻別する……マンガ学芸員の役割は、今後とても重要なものになっていきます。そうした現代のマンガ作品研究も大事ですが、その国のヴィジュアル文化全体を鳥瞰する姿勢を学芸員の方々に期待するところではあります。
  マンガ表現自体の役割も大きく広がってきています。マンガ博物館の学芸員が果たすべき研究分野も広がります。マンガを中心としたヴィジュアル表現を軸に、文化の過去を検証し、未来を拓いていく時代が来ているのかもしれません。

  韓国漫画映像振興院のこれからの先進的な研究と活動が、アジアのヴィジュアル文化研究に大きな足跡を残されることを期待して、私のお話を終わりたいと思います。