3万5千人の観衆の前で日本代表として試合
韓国スウォン(水原:ソウルから車で1時間の古都、世界遺産華城で有名)のワールドカップスタジアムで試合をしました。11月18日(日)午後3時キックオフ、日韓の代表試合(韓國芸能人蹴球団/日本側はザミイラ(日本芸能人集団のチーム)&のんきなタートルズの混成チーム)にボランチとして、前半15分、後半10分ほど出ました。45分ハーフで、交替は自由ですが交替にはハーフラインのところで、番号板で示して行います。すなわちほとんど正式の国際試合なのです。4万4千人収容のスタジアムは、スウォン市がワールドカップまで200日のキャンペーンとして集めた3万5千人の観客で埋まり、チアガールや横断幕などで大変な盛り上がりでした。
当方にはもとJリーガーのキーパーやセミプロの若者が2−3人のほか、元韓国代表のキムさんが先方チームから助っ人として入り、強敵韓国チームと互角で闘えました。先取したのは我々でした。2点目は「のんき」の深沢でした。私は前半30分に入りました。40分ころ相手ゴール前でわたしの前をボールが横切ろうとしました。「ゴールが見えたらシュートせよ」と教えに従い足を振りましたが空振りでした。「しまった、絶好のチャンスを逃した」と思ったその時、わーっという大歓声がわたしの体を包みました。韓国の人の肉声がかたまって押し寄せてきたのです。これが中田がいつも試合で感じていることなのだ。ここが本物のワールドカップの会場なのだと、まさに鳥肌がたちました。
サッカーの試合としては見ている方も相当面白かったと思います。人気俳優でありながら国家代表並の実力者を数人抱える韓国芸能人チームは手ごわく、ボールがそんな彼らに渡るとわーという大歓声です。敵地でプレッシャーを感じながらプレーする経験もできました。私は日本側最長老として出場し、韓国側最長老でベンチだけだった監督にはあとでうらやましがられましたが、きつい試合でした。後半終了間際には足が動かず、オフサイドトラップを効かすことができず失点に結びつくミスもしてしまいました。結果は3−5で負けました。後半のメンバー表を参考につけます。
下線が「のんき」メンバー
GK 吉村(もとマリノス?)
DF 鄭(30分栗原)
DF 金(もと韓国国家代表)
DF 小林(30分朴)
MF 深沢(35分手島)
MF 飯田
MF 近岡
MF 小川
MF 小谷(30分石川)
FW 平野(30分戸井)
FW 三上
韓国放送(KBS)で全国中継
スタジアムにはテレビカメラが数台配置され、韓国全土に放送されました。実況中継と聞いていたのでやや意識していたのですが、あとでビデオで編集して放送と聞きました。それでも「代表チーム」としてのモチベーションを高めるには効きました。前半ベンチにいると、カメラと女子アナが監督風に座っている私にインタビュー。「ワールドカップの決勝戦はどことどこの国になると思いますか?」日本と韓国になることを望みます。「本日の試合はどちらが勝つと思いますか?」引き分けですかね?…わたしはトルシエの気持ちもわかってしまいました。
日韓の交流の歴史
「のんき」がまだ若かったころタートルズは1992年3月に最初の韓国遠征をしています。1996年ワールドカップ日韓共催が決まった直後、のんきなタートルズは96.10.16に日韓親善試合をソウルで行っています。その時相手していただいたのが韓国芸能人蹴球団です。日韓芸能人サッカー交流はその後も継続して親善試合が行われており、今回は11回目と聞きました。先日は横浜国際スタジアムで行われ、それの返礼として水原(スウォン)のワールドカップスタジアムでの試合を韓国側が組んでくれたそうです。年末を控えて何かと忙しい日本の芸能人は参加できる人が限られたため、以前から関係のあった「のんきなタートルズ」に声がかかったわけです。「のんき」からは私を含めて5名参加しました。このような棚ボタのような話をつないでくれた元「のんき」代表の田代に感謝します。長い長い彼の韓国との交流の実績がこの招待話をもたらしたのです。でも田代君、私たちだけいい思いさせてもらって悪いですね。
芸能人の方々の努力でスポンサーもつき、負担したのは航空運賃だけという夢のような遠征でした。このような交流は1996年のタートルズ韓国遠征がきっかけですが、その後タートルズとは関係が薄くなって芸能人同士の試合が続けられてきたわけですが、よく11回も続いたなと感心します。その理由は、サッカー好きの芸能人趣味と実益が第一でしょうが、韓国の文化も大きいと思います。韓国の人たちは、日本人に対する親切で、まことに寛大な姿勢をとってくれます。日本において、少年時代在日の人たちに対して多少後ろめたい態度をとった記憶のある私には、韓国の人たちのように寛容になることが肝要だと思います。それと礼節。試合前夜と試合後韓国チームのかたがたと、カルビを喰らい、真露で乾杯しました。韓国の人は目上の人の前では口を隠して飲むくらい長幼の序を重んじます。日本側の若手の一部が仲間内のコンパにおけるように振る舞っていたのは興ざめで、日本人として恥ずかしく思いました。甘えちゃいかんよ。本番のワールドカップへ向けてホスト国日本はなにをしなくてはいけないのか、帰国前ソウルのホテルで考えこんでしまいました。
次の日韓芸能人交流試合は来年4月ころ新潟で行われる予定です。のんきなタートルズの日本航空新潟支店長の戸井くんの活躍を期待しています。次は、海外出張の日程が無ければ、駆けつけて韓国の友達を暖かく迎えたいと思います。
日本チームをまとめていただいた小谷さん、三上さん、そして通訳とさまざまな交渉に走り回っていただいた加納由美さんには感謝申し上げます。一生に一度の体験をさせてくださいました。ありがとう。
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