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2003年4月、もうひとつの日韓戦

手島 直幸

2003年4月16日ソウルワールドカップスタジアムは、ひさしぶりの日本代表と韓国代表の試合で沸き返った。ジーコJAPANは永井の決勝ゴールで勝利した。この試合の3日まえに、ソウル近郊でささやかな(観客は100人以上いたけど)日韓交流試合が行われた。日本からは、芸能人を中心に組織された「ザ・ミイラ」と「のんきなタートルズ」の連合軍、韓国からはトップスターを含む芸能人のチーム「スター・イレブンズ」であり、ソウル郊外のOBビール工場の芝生グランドで行われた。

ミイラの小谷泰介氏から連絡のあったのは試合の2週間前で、果たしてひとが集まるか懸念されたが、SARSの影響で海外出張の予定がなくなっていた私はすぐに手を上げた。のんきからは、その子息2名も含めて6名が渡韓し、のんきメンバーの戸井JALソウル支店長の出迎えを受けた。のんきのメンバーとして試合の様子を記録しておきたい。

試合は午前10時、ホテルから1時間のバス旅で到着直後にキックオフされた。韓国側はこの試合の前にすでに1試合すませている。ウオーミング不足の日本軍もリラックスして始まった。手島はMFとして先発出場した。先取点は日本だった。フォワードにもとJリーガーのマイケル、近岡がいることで、得点機会は次々訪れた。韓国側も元代表のメンバーを中心にかなり前がかりの姿勢であった。私は日ごろの鍛錬不足のため対面の元韓国代表(背番号14だったか)の動きに振り回された。

ペナルティエリアの外側で私にとっては歴史的なことが起こった。その韓国選手の放った強烈なシュートを頭ではじき返して転倒したのだ。軽い脳震盪のようになったが、蹴った選手がわたしの頭を抱えて当たったと思われる左目に軽く息を吹きかけて、見えるかと問われ(韓国語でそういったのだと思う)、うん、見えるよ。ケンチャナヨー(気にするなという意味の韓国語)と応えて、ゲームを再開した。サッカーでヘッディングを何千回、何万回とやってきているのだが、このときは後味が妙に悪かった。この感触は、小谷氏に交替して、ベンチにさがった後半にそばにいた戸井に「滅茶苦茶強烈な一撃で、なんか頭に影響ありそうだ」と洩らしていたようだ。ただこのときは、あとで焼肉と韓国焼酎でぱあっとやれば直ると信じていた。4ヵ月後に「慢性硬膜下血腫」と診断され開頭手術を受けることになってしまうとは考えもしなかった。

試合のほうに戻ろう。日本側はのんきのJrたちをはじめとしたバックスがちゃんとラインを制御し、GKのもとJリーガー吉村の好守もあって、日本1点リードで、ハーフタイムを迎えた。この時点では、その後の大量得点を予想すべくもなく、いつものように韓国側が盛り返すのだろうと思いながら、後半の善戦を期待して選手を送り出した。後半、マイケルが爆発した。前半の活躍をみて韓国側はマイケルを2人、3人でマークするのだが、マイケルの強引とも見えるドリブルそして、ものすごいスピードのシュートは完全に試合の主導権を日本側に渡した。プロのスピードは違うなとしきりに感心した。マイケルがゴール前に迫ると、韓国側バックスは3人くらいそれに引っ張られ、逆サイドの空間を利用して、近岡、平野等がいくつものシュートシーンを演出し、決めた。平野なんて、一昨年11月のスウォンの試合以来球蹴っていないというのに絶好調。スコアが5−1くらいから、韓国側の目つきも変わった。応援席のわれわれのところに、イレブンの幹部(韓国芸能界の大スターの朴相勉 パクソンミョン)がやってきて、「やりすぎじゃないか」と冗談めかしていう目が真剣なのに驚いたりした。

このままでは終わらない、韓国側の反撃はあるはずと思ったが、前半からのバックス、GKの安定感は崩れず、日本側3点後の1失点に抑えた。7対1で試合が終わったとき、試合に勝つのは気持ちがいいけど、こりゃやりすぎたかなと韓国側の表情を思わず探ってしまった。悔しさがもろに出ていたけど、こんなはずじゃなかったという自分たちへの反省も強く感じられた。全員での記念写真の表情もそんな感じが漂っている。日韓戦でもこういう結果を出して平気な関係になったんだなあと若干感傷的になった。試合後焼肉やで日韓入り乱れての昼食会では、いろいろ言い訳を言っていたけど、あれって日本国内チーム同士でやるときと同じでおもしろい。

韓国側は3人のもと韓国代表を抱え、ほかのメンバーのサッカーの技術はかなり高い。技術的に高いメンバーがうまく機能しなかったのは、疲れのほか、チーム内での連携不足があったようにみえるし、韓国独特の文化も原因にあったのではないか。たとえばこちらのバックスを振り切ってシュートしてよいときに、無理にセンターフォワードにパスをしてシュートチャンスを逃すことが2-3回見受けられた。今回も通訳をしていただいた加納由美さんによれば、あのウイングプレーヤーはセンターフォワードの先輩を立てることをいつも考えているので、ああいうプレーをするということである。つまり儒教精神文化の強い韓国では、試合といえども長幼の序を重んじるのだ。私は、日韓戦では、常に韓国側の強烈な対抗意識を感じてきたので、意外な側面を見た感じがした。

タートルズがはじめて韓国遠征をした1993年3月から10年の歳月が流れ、日韓交流もここまできたかという感慨である。今後もおもしろく交流していきたい。
日韓戦結果
2003年4月13日 10:00 35分ハーフ
晴れ、グランドはやや軟弱芝生
韓国ソウル市郊外利川 OBビール工場サッカーグラウンド
日本芸能人+のんきなタートルズ VS 韓国芸能人チーム(スターイレブンズ)
7−1(前半1−0、後半6−1)
得点者:日本 矢野マイケル 3、近岡 3、沢井 1

出場者:
GK 吉村(ミイラ、韓国で芸能人修行するもとJリーガー)
DF 沢井あきら(ミイラ、モデル)
DF 三上伸吾〔ミイラ、モデル〕
DF 石川Jr(のんき、大学生)
DF 西あきら(ミイラ、会社員)→戸井Jr(のんき、大学院生)
MF 栗原啓明(のんき、会社員)→石川啓一(のんき、会社員)
MF 深沢光賢(のんき、失業中)→五百旗頭(のんき、日本航空ソウル)
MF 手島直幸(のんき、会社員)→小谷泰介(ミイラ、サッカー・コメンテーター)
MF 近岡健司(ミイラ、ペルージャ日本担当)
FW 平野充雄〔ミイラ、陶芸家〕
FW 矢野マイケル〔ミイラ、元Jリーガー、ミュージシャン〕)

応援:戸井正明(のんき、日本航空ソウル支店長)、加納由美(タートルズの支援者)
なお参加予定の飯田吉彦(ミイラ、元横浜フリューゲルス・ユース主将)はパスポート期限切れのため韓国に来れず。

韓国側
大スターの朴相勉(パクソンミョン)17番
もと韓国代表3人、14番、4番、23番


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