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伊藤 一 (村井 徹)

村井です。

「一期工事」ですばらしいオアシスができ、合間合間に眺めながら、早く何か送りたいと思っていたのですが、作品など出来そうもなく、また、多少言い訳ですが、ホームページなど他人任せでネット関係に非常に弱いため、どの種の原稿をどのように送ればよいのか感触がつかめないことも、つい、連絡を後回しにする口実になってしまいました。そのため、これは、とりあえず、メールの形で送りました。


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先月、そろそろ投稿を、と思い、その前に作品を見てからと思って、最後に、一番長い石井さんの報告を読み始めたのですが、1,2まで読んで、あとが楽しみになったところ、翌日みたら消えていて、アレッと思ってしまいました。後で「掲示板」を見て、理由が分かりました。具体内容は分かりませんが、この種のことは、疑念があれば最大限慎重にあつかうべきと思うので、読めなかったのは残念ですが、納得できることです。
実際、最近もコロンビアで事件が起こって、一層、石井報告のなまなましさを感じさせられました。
それにしても、読み始めたとたんというのは、まさに「マーフィーの法則」なるもの、そのままでした。
私は、次に(この10日後に遭遇したことですが)報告することも含めて、第三世界のグループやメンバーとも、いくつか交流してきましたが、ただ、それらは、コロンビアの「誘拐ビジネス」化したグループ(ゲリラでもあるけれども、山賊・強盗団とも言えそうな勢力)とは正反対の勢力です。

こうしたグループやメンバーについて、そのうち、いろいろ聞いてもらいたいとも思っていますが、今回は、多少関係があることで当面したことの報告にさせて下さい。


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先の石井報告の削除にちょっとがっかりしながら、投稿しなければ、などと思っていたころ、先月30日(「掲示板」の日付を見たら、石井報告削除が20日でした)、日本に13年いる在日イラン人の知人(ジャマルさん=35歳、男性)が、突然入管に収監され、強制送還の可能性に脅かされる事態になってしまいました。かれは、イラン労働者共産党のメンバーであることを公然化しているので、送還されると処刑の危険もあります。これまで、第三世界のメンバーとの交流してきましたが、知人がこうした具体的危険に直接さらされることになった状態は、初めての経験です。
私は、このことについて、非常に理不尽なことと思っています。彼は、難民認定を得るためには、送還されると如何に危険であるかを証明しなければならず、そのこともあって、イラン労働者共産党メンバーとしての活動の足跡を(たとえば日本での政治運動への集会参加の写真などまでを)入管当局に要求され公然とし、提出しているのですが、それらのことは、送還された場合は、イラン当局からの迫害の条件になってしまうことになります。
そして、私たちとまったく同じに生活していた1人が、突然、重罪人と同じように自由を奪われ、さらに処刑の可能性にまで直面してしまうということは、実感からしても正当なこととは思えないのです。(彼は、マンションの1人生活ですが、入管に月一回の通例の手続きにいったところ、予期せずにそのまま収監されてしまい、住居の処理・整理の余地さえまったく与えられませんでした)
今のところ、即時の送還は避けられそうですが、一年くらいの収監の後の見込みは明るくはないようです。現在、裁判闘争を含めて支援活動を始めているところです。
この活動が加わって、すこしゴタゴタが続いてしまいました。
在日外国人や「不法就労」、今後の受け入れ拡大の是非などについては、「オアシス」のみなさんの中にもいろいろな意見があり、意見の分かれるところと思います。
私は、何十万人もの外国人労働者を「不法」でありながら好況期には雇用し、不要になれば「不法」を楯に送還、入国拒否するというやり方は、日本当局による「不法」の意識的な利用で、不当なものと思っています。また、基本的に受け入れて行くべきだと考えています。
こうしたことは、難しい論点もあるので、別の意見ともつき合わせながら考えていきたいとは思ってます。

なお、関連ついでに。
上のイラン労働者共産党の兄弟姉妹組織としてイラク労働者共産党という組織がありますが、この組織は、現在、米英のイラク侵攻以後、現在、イラクの労働者・失業者の中で活動を展開し、急速に勢力を広げています。イラク労働者共産党は、米英の新興・統治に反対すると共に、無差別テロも強く批判し、UUI(イラク失業者組合)とともに、ストライキ、街頭行動など大規模な運動を展開しています。そのため、イスラム勢力からの襲撃もうけています。このUUIは、11月23深夜(24日)に、ついに、代表の二名が米軍によって逮捕されています。
マスコミ報道がほとんどテロをめぐる問題に限られていて、埋もれていることなので、触れてみました。(これは、若干の交流や、直接・間接のネット情報などからのもので、間違いない情報と判断しています)


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作品は楽しく見せて貰っています。
田代マンガは更新ごとに見ています。小山台での講演も面白かったのですが、講演しながら描いた絵を見られないのが非常に(相当)残念です。
手島さんの報告は臨場感がありますね。
ただ、危険と隣り合わせという教訓まであって。その後、大丈夫でしょうか。
それにしても、手島さん、田代さんなど、精力的にスポーツを続けていることに接すると、刺激されて少し元気が出るような気になります。
最近、何年かぶりに、多少体調が戻ってきて、短時間ですが(それなりに集中して)剣道の素振りや打ち込みなど始めたのですが(学校警備なので、そのきになれば、いつでも武道場などでやれるのです)、それだけで、睡眠の深さなど変わってしまったのには驚きました。
深尾さんの詩を見て、昔の感性を持ち続けていることに羨ましい思いがしました。今手元にはないのですが、深尾さんの昔の作品のイメージは消えずに残っています(特に、比較的長い詩のイメージなど)。

石井さん、手島さんの報告も国際交流などが入っていて興味深かったのですが、やはり、この問題は避けられないようです。
私は、80年代後半、フィリピンの共産党(反対派)と私たちのグループが交流を初め、みな意気込んで会話(英語)を学んだり、訪問を追求した際に、一人だけ「土着派」を自称して、他人に任せていました(私の英語嫌いを覚えている人もいると思います。このときまで貫かれていたのです)。しかし、どういう風の吹き回しか、90年代中頃に、交流の中心になってしまいました。英語能力は絶対零度的なゼロだったので、「年寄りの冷や水」とまでいかないものの、一時、学習で大変なはめに陥りました(ラジオ講座と、英文でだけ書くようにするなど)。一時期、何とか文書やりとりなどできる(?)ようになったものの、90年代末頃、任務が変わって、やらなくなり、あっというまに、ゼロ点に近いところに戻っています(スリランカやイランの交流メンバーは結構日本語ができるのです)。

自分でも何か作品を、と思うのですが、直ぐには出てきそうにありません。
それで、既成のものと考えて・・・。
2〜3年前に、パソコン作業の合間に壁紙用につくったパソコン画がいくつかあって、事務所のパソコンで使っていたところ、のぞき見た面々の中で、二人を除いて、他から非難・ひんしゅくを買うという受難にあった(^^)代物があります。パソコン画は、一時結構熱中してしまいましたが、パソコン作業の気分転換をパソコンで行う形になるので、疲れが加速するため、やむなく止めてしまいました。今手元にありませんが、近く送ろうと思います(何と言われることか)。

近況報告も作品も遅れてしまった私がこんなことをいうのもなんですが、オアシスホームページ製作に応えて、是非、みなさんからの作品・投稿を!


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私が関係あるホーム・ページとして、『国際主義』編集会議(=IEG)、コム・ネット、JSネット(=ジャパン、スリランカ、ネットワーク)のアドレスを紹介しておきます。IEGは、私の所属する小左翼グループです。コム・ネットは、それが参加している協議体です。IEGのホーム・ページは、多少「過激」に見えるかも知れませんが、これは制作者の「趣向」が左右してもいます。それほど「過激」なグループではないのです


『国際主義』編集会議
http://www.ngy1.1st.ne.jp/~ieg/

コム・ネット
http://www.ne.jp/asahi/com/f/

JSネット
http://www.ne.jp/asahi/com/f/jsnet/


なお、私は「伊藤一」のペン・ネームを使っています。これは、三里塚闘争のときに、一時、本名を隠す必要で使ったもので、今では不要なのですが、この時期に、この名前で知り合った関係が多いために、変えにくくなって、ずるずると使い続けてきたものです。
夫婦別姓問題で、名字変更の不利益が言われていますが、この経験から実感できるところがあります。
ただ、このペン・ネームは最悪で、「伊藤」などという多い姓を使うものではなかったと幾度も後悔しました。というのは、いろいろな集団、あつまりなどで、大体、一人くらいは「伊藤」名がいるので、混乱するのです(F組には居なかったものの)。そして、どちらも本名で「伊藤」が重なっているなら、最初から、周囲が区別を意識して使用するので、混乱は少ないのですが、本名とペンネームが併存していると、そうした区別を自覚しないままに、それぞれ、本名、ペンネームのどちらかをイメージして使うので、まったく入れ違って伝わり、混乱することが結構あるのです。それも、名前を決めるときに、「伊藤」の三文判がころがっていたので、印鑑を買う手間が省けると手抜きをやったことのツケでした(名前の「一」は、書くときに画数が少しでも少ないものを・・・というレベルで決めたものです。高校時代から、ものぐさは少しも変わっていないのです)。

もう一つ「さん」づけについて。
こうした呼び方は、しっくりこない人も居ると思うし、私もそうです。ただ、すべて「さん」づけにしてしまったのは、若干理由があります。
この敬称問題は、一貫した悩みの種でした。
実は、私は、小さいグループ(『国際主義』編集会議、あるいはその前身)の中に居て、70年代中頃から90年代中頃くらいまでは、その中でも外部との接触が少ない位置にいたのです。そのグループ内部では、「君」つけが一般的で、年下の女性メンバーからも「君」で呼ばれることが普通で、これに慣れきってきました。こうした呼び方は、ある程度、従来の上下関係への批判的気分を表現したものですが、ただ、自覚的に行ったものではなく、何となくそうなったというだけのものです。
しかし90年代の中頃くらいから、私も「定職」につき、また、グループの活動も対外的な結びつきが増え、この呼称では通用しなくなってきました。そして、口頭だけでなく、メールでのやりとりが頻繁になったので、メール上で、相手をどう呼ぶか、他のメンバーをどう呼ぶかが、より気になりだしたのです。(この点に関してだけは、英語の手紙などの方が楽でした)
こうした中で、私のグループのメンバーは、いつのまにか、私のことも「さん」づけで呼ぶようになりはじめました。これは、未だに少し違和感があるのですが、動かない趨勢になっています。
私は、「くん」と「さん」とを混ぜたり、第三者には「氏」を使ったりの混同や、1人に対してときに違ったりと、このことで少々消耗してしまうようになりました。そのため、少し前に(ほんの少し前です)機械的・一方的・状況無視的に「さん」で統一してしまおうと決めてしまいました。こうした動揺性と、その形式的たがはめという状況なので、ここもそれで通さないと自信を持てないという状況なのです。
私もそうなので、こうした呼び方は違和感があるだろうと思いますが、了承下さい。
また、当然にも、こうしたことは、各人の生活してきた状況、文化、考えなど無数の要因に関係することで、私の考え方をおしつけるつもりは全然ないし、また、私が「さん」付けで呼んだのだから、相手も継承付きで私のことを呼ぶべきだ、などとはまったく考えません。私が自信がないだけで、それぞれ自然にして貰った方が有り難いのです。


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より一層のみなさんの声を期待しています。


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