鳩ヶ谷御成坂周辺

 鳩ヶ谷は坂が多い。代表は御成坂。見沼代用水の吹上橋を渡りカーブを描きながら旧中心市街へ登っていく。市役所は第二産業道路沿いに移ったが、鳩ヶ谷のメインストリートと言えるのはやはりこの道しかない。徳川将軍が東照宮参詣に利用した「日光御成道」ということで、坂の途中左手に行列の様子を描いた壁画やからくり人形時計を配した御成坂公園があり、さらに進むと右手に船津邸の洋館がたたずむ。その先、本町2丁目の交差点を草加方面に右折したところに鳩ヶ谷市立郷土資料館はある。
 学芸員の島村邦男さんが公民館勤務から資料館勤務となって、もう9年になる。正確に言うと、1995年に着任したのち通信講座で学芸員資格を取得したわけで、学芸員としては8年ということか。あの時は、慣れない仕事をこなしながら大変な一年だった。
 市内里(さと)に住む島村さんは自転車で出勤する。御成坂は通らないけれど、高台に位置する資料館へはやはり坂道を登らなければならない。夏はどっと汗が吹き出す。この時期は例年秋に開く特別展の準備で忙しい。昨年は「懐かしい鳩ヶ谷の風景」という写真展が大好評を得た。今年は第二弾として昔の写真で市内八つの地域の特殊性を見つめ直そうと企画している。起伏に富んだ鳩ヶ谷は、地形とのかかわりで地域によっていろいろな顔を持つ。平成11年に「台地と低地の物語」という特別展を開いたが、今回の写真展はその延長上に展開したいと、島村さんは考えている。
 幸いに、昨年の展示を機にまた新たな寄贈写真も増えた。これまでも館の資料収集は地元の郷土史家や旧家の方々の寄贈に支えられてきた。私財をなげうって散逸した文献や絵図を集められ、その成果を寄贈いただいた例も少なくない。つくづく鳩ヶ谷の素晴らしさを感じる。
 島村さんの出身は文京区の本郷。母校の誠之(せいし)小学校は正に旧中山道と日光御成道が別れる地点にあった。そして現在は鳩ヶ谷と地下鉄で結ばれる関係になっている。妙な「縁」を感じたりもする。
 地域のことは知れば知るほど新しい発見に出くわす。荷物の送状から運送手段の変遷を考えるきっかけを与えられたり、戦前の航空写真から知った多くのことなど、尽きることがない。今疑問に思っているのが、それまで問屋がほとんどだった鳩ヶ谷の商店街がある時期から一般商店中心に様変わりしたこと。大震災以降の流通形態の変化とか、恐慌の影響とか、あれこれ考えられるが、まだ謎のままだ。
 古道をたどって得られる発見も多い。今では路地のように見える道が昔は草加に通じる幹線の街道だったり、古道に平行していたために現在の土地区画の中では斜めに建てられたようになってしまった中居小学校とか。時間ができると家庭サービスは置いておいて、調べ歩きに出かけてしまう。鳩ヶ谷の広さというのがまた程良い。つい「くまなく調べるぞ」という気にさせられてしまう。
 地下鉄の開通以降、駅周辺はマンション建設が激しい。駅からは距離のある郷土資料館のま向かいにも高層マンションの建設が進んでいる。鳩ヶ谷も大きく変わる。探索を続けてきた市内の古道もいつその跡を失うかわからない。特別展が終わったら、あの道とあの道を歩こう。島村さんの頭の中の鳩ヶ谷地図にはすでにマーカーのチェックが入っている。

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